仮の家族が東京の孤独を救う-映画「レンタル・ファミリー」が世界に問う本物の絆とは
- 外国映画は長年、東京を「孤独」を映し出す舞台として描いてきた
- 「レンタル・ファミリー」は活気ある東京を描きつつ、孤独も映す
撮影現場で並ぶブレンダン・フレイザーとHIKARI監督
Photographer: James Lisle/Searchlight Pictures東京という大都市を外国の映画作家が描くとき、カメラは桜並木や障子越しの室内を滑るように行き交い、「孤独」を映し出すための巨大な舞台として捉えてきた。都市の規模感やテクノ未来主義、外部から見た異質さが相まって、都市的虚無感を主題とする一連の表現が生み出されてきた。
リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」におけるディストピア的な都市像から、ヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクトデイズ」が描く現代的な都市の漂流感に至るまで、その系譜は連なっている。