伝統的な日本の旅館の一つ、高見屋の浴場で作業する男性(山形県)
山形県内にある旅館、高見屋の浴場

山形・蔵王で一族300年経営、温泉旅館が迫られた自己破産-のれんと社員は守る

補助金で延命続けた「ゾンビ企業」も淘汰。日本の企業倒産が高水準に

山形県の蔵王温泉は、パウダースノーと「スノーモンスター」と呼ばれる樹氷で知られる。この地でノーレン・佐藤・千草さん(57)の一家は、何世代にも渡り宿泊業を営んできた。

蔵王連峰の樹氷「スノーモンスター」(山形県)
蔵王連峰の樹氷「スノーモンスター」(山形県) Source: Alamy

  高度経済成長期、蔵王温泉には多くの宿泊客が訪れ、家業は繁盛した。毎冬来訪していた学習院女子高等科の生徒の写真が、旅館「吉田屋」の廊下に飾られている。

  「旅館は生活と家族と商売が一緒。究極の公私混同」。幼少期を旅館で過ごし、スキーを楽しみながら育った千草さんはこう話す。

  1989年に系列ホテル「オークヒル」を開いて間もなく、バブル崩壊で家業は苦境に陥る。約6億円の借金の利息を支払うのがやっとで、日本銀行のゼロ金利・マイナス金利政策や政府の補助金で延命した「ゾンビ企業」の1社に成り下がった。

吉田屋で働くノーレン・佐藤・千草さん
吉田屋で働くノーレン・佐藤・千草さん
Bloomberg Markets Japan Issue
ブルームバーグ・マーケッツ誌の10/11月号に掲載 Photographer: Ben Weller for Bloomberg Markets

  東京大学の星岳雄教授を含め、3人の日米経済学者が2008年の論文で指摘したゾンビ企業は、2010年ごろに5社に1社にまで増えた。日本では経営者の倒産への拒否感も強く、トランプ大統領がかつて自身の企業を破産させて復活させたような例は少ない。

  中小企業の再生を支援する経営コンサルタントの小宮一慶氏は、「ここ30年、日本経済が全く成長しなくなってしまった原因の一つは、企業の供給過剰」と話す。政府が淘汰(とうた)を避け、中小企業を保護する姿勢もあったという。

  状況は変わりつつある。日銀は24年3月、17年ぶりに利上げを実施した。政府は企業統治改革を後押しし、債務整理手続きを軽減する「早期事業再生法」も成立させた。

  20世紀の経済学者であるシュンペーターが唱えた「創造的破壊」、つまり革新者が弱い競争相手に取って代わる必要性を日本は受け入れ始めている。 

企業倒産件数

24年度は11年ぶりに1万件を超えた

Note: 年度 Source: 帝国データバンク 

  「一般的に企業部門の健全な新陳代謝は重要であり、わが国にもそれは該当する」。ゾンビ企業を研究する成城大学の後藤康雄教授は中小企業庁の審議会の資料の中でこう強調した。

  23年度にはゾンビ企業が7年ぶりに減少に転じ、倒産は23年度比13%増の1万70件と13年度以来の高水準となった。

  現時点で大企業の倒産事例は少なく、慢性的な人手不足で失業率も低い。ただシュンペーターが指摘したように、企業の倒産で混乱が生じ、社会不安につながる可能性もある。

  成城大学の後藤教授は、一部の成功者とそれ以外のような「新たな格差を生むと経済社会を不安定化させる恐れもある」とも語る。

 

山形県の温泉
蔵王温泉の町並み
蔵王温泉スキー場の風景

山形県の温泉

蔵王の御釜と呼ばれる火口湖

蔵王温泉の町並み

蔵王温泉スキー場の風景

  蔵王温泉のほぼ中心に位置する複合施設のZAOセンタープラザは、約2年前に閉館した。運営会社はおよそ10億円の負債を抱え、倒産。清算の結果、従業員は職を失い、建物は取り壊された。

  およそ10億円の負債とさら地だけが残った。収支が黒字になるのは年に2カ月ほどで、コストを賄うための値上げもできなかった。

  同センターの最期を見届けた代表清算人の舩見勝さん(74)は引き継ぎたいと思いつつ、次の世代が「苦労はするだろうなと感じた」と話す。「まあ潮時かなと思い、銀行と相談したうえで決断をした」。

  吉田屋の千草さんらも昨年、ZAOセンタープラザと同じように苦渋の決断を迫られた。約300年前、江戸時代までさかのぼることができる吉田屋には、佐藤家の歴史が詰まっていた。

  吉田屋は千草さんにとって「家」であり、訪れる宿泊客のリズムに合わせて生活が形作られていた。8歳ごろまで吉田屋の2階で暮らし、父が近くに大きな家を建てたが、その後も食事は旅館でとっていた。

昭和初期に高見屋で撮影された蔵王スキー場の写真
昭和初期に高見屋で撮影された蔵王スキー場の写真
現上皇陛下(前列左から2人目)が1951年に蔵王を訪れた際、岡崎家と撮影した記念写真
現上皇陛下(前列左から2人目)が1951年に蔵王を訪れた際、岡崎家と撮影した記念写真



  スキーの腕前にたけた千草さんの父は、息子や娘を学習院の学生たちと一緒にゲレンデへ送り出したという。旅館の廊下に飾られている写真には、天皇陛下の妹である黒田清子さんと並ぶ千草さんの姿もある。  

  千草さんの兄の直己さんは後継者として、ホテル経営の学校に通い、欧州の名だたるホテルを巡る2週間の研修旅行にも出掛けた。

  事業拡張に乗り出したのは、学習院がスキー合宿に適した新たな宿泊地を探しているとのうわさがきっかけだった。不安を覚えた父は4億円を借り入れ、89年に旅館裏手のスキーリフトから歩いて5分の場所にホテルを新設した。

  敷地に生えていた木々にちなみ、オークヒルと名付け、経営は直己さんに任せた。

  日本中がバブルに沸く中、父はさらに2億円を借り入れ、露天風呂を増設した。その年、バブルが崩壊。不動産市場は冷え込み、銀行には不良債権が積み上がった。蔵王温泉への年間来訪者数は、ピーク時の200万人から半減した。

  オークヒルは見た目こそモダンだが、運営は旅館スタイルに近かった。刺し身や山形牛のすき焼き、焼き魚と品数の多い料理の準備や、畳部屋に布団を敷く作業は手間がかかり、人件費がかさむ。

  吹き抜けとガラス張りの受付ロビーは眺めはいいが、冬は光熱費が膨らんだ。コスト削減を試みたが、うまくいかなかった。  

  学習院の学生はその後も泊まりにきてくれたが、収入の落ち込みを補うには不十分。デフレ下で集客するため、宿泊料金を半額の約6000円に引き下げた。

  千草さんは「落ち着かない」と言う家を離れ、東京で英語を身につけ、米軍基地で働くようになった。そこで米国人の夫と出会い結婚したが、2009年に母の介護のため蔵王に戻った。
  
  7年前、兄の直己さんは脳卒中で急死した。54歳だった。わずか1年足らずで父もがんで亡くなった。千草さんが引き継いだのは旅館とホテル、そして借金だった。

  直己さんの息子で、千草さんのおいである祐己さんは、その頃大学卒業を控えていた。ホテル経営の学校に通うのが夢だったが、家業の没落とともにその計画は立ち消えに。

  父の訃報を受け、祐己さんは奨学金の返済を抱えたまま帰郷した。

蔵王温泉にある吉田屋
蔵王温泉にある吉田屋

  千草さんが吉田屋を、祐己さんがオークヒルを担当することになり、2人は財務状況の深刻さを知ることになる。年間3000万円超の営業赤字を出していたのだ。  

  「身動きが取れなかった」と祐己さんは言う。「ひとつの判断ミスが従業員の解雇につながる。高齢の従業員は再就職が難しい」。

  なんとか事業を続け、オークヒルの買い手も探したが、失敗に終わった。敷地に温泉の権利が含まれておらず、借りていたためだった。

  転機は24年4月。山形市に本店を置くきらやか銀行の幹部が千草さんと祐己さんのもとを訪れた。これ以上の融資はできないとして、別の資金調達先を見つけるか、自己破産するかの選択を迫った。  

  きらかや銀は、親会社のじもとホールディングスの方針転換を理由に挙げている。キャッシュフロー改善の見込みが薄い企業とは取引を続けないというものだ。同銀は特定の借り手についての詳細なコメントは控えた。

  千草さんは、破産申請を選んだ。資料によると、負債は5億9700万円。手続きが始まると、ホテルを買い取り、営業を続けてくれる可能性のある候補者リストを千草さんは作った。

高見屋旅館の前に立つ岡崎博門さん
高見屋旅館の前に立つ岡崎博門さん


  求めに応じたのが岡崎家だ。同家は1700年代から同じく蔵王温泉で、旅館「高見屋」を営んできた。近年では外国人スキー客の需要を取り込み、蔵王温泉で6軒の宿泊施設を運営する。

  吉田屋とオークヒルの買収額は公開されておらず、岡崎家も明らかにしなかったが、千草さんによれば、負債6億円のごく一部にすぎない額だという。  

  父とともに家業を営む岡崎博門さんは、ホテルの改装に2500万円を投じたと話す。布団をベッドに替え、無人セルフチェックインシステムを導入。

  食事は朝食ビュッフェのみとした。ホテル名も「ONSEN&STAY OAKHILL」に改め、温泉を前面に打ち出した。

  博門さんと祐己さんは同じ地元のスキーチームに属していたこともあった。博門さんは、ニューヨーク州の名門コーネル大学で、世界的に評価の高いホテル経営学部に学んだ。

  帰国後は父の下で働き始め、現在は最高執行責任者として、年商約30億円の高見屋グループを率いる。

  現時点で博門さんの再建戦略は成果を上げている。オークヒルは今年、1億9500万円の売上高と30%の営業利益率を目標に掲げる。  

  「大事な温泉街ビジネスの一つだ」と博門さんは話し、「僕らが持っているノウハウでうまく運営ができるのではないかと思い、引き継がせてもらった」と説明する。観光ブーム下で買収したのもタイミングがよかった。

祐己さんはいまもオークヒルズに勤務する
祐己さんはいまもオークヒルズに勤務する

  千草さんと祐己さん、そして従業員は吉田屋とオークヒルの運営に今も携わっている。博門さんは「非常に真面目な方。そういった方についているお客さまも非常に多い」と話す。

  祐己さんは母とともにオークヒルに併設された家に住み、月給約25万円で勤務する。全国平均の3分の2にとどまるが、家賃や食費の大半もかからない。

  オークヒルが苦しかった時期、祐己さんは給料を受け取らないこともしばしばあり、経費を自己負担したこともあった。  

  マネジャーとして、日々忙しく過ごす祐己さんや従業員の提案で、ロビーの一部をカフェに改装することが決まった。工事は進んでおり、年内の開業を目指している。

  ホテル以外の客を呼び込みつつ、宿泊者に日中くつろげる場所を提供する狙いだ。

  「吉田屋旅館は資金がなくてチャレンジもできなかった」と祐己さんは話す。「いまは、高見屋旅館の方々が支援してくれているので、やりたいことがやれる」といい、責任の範囲が変わり、「苦しい気持ちから解放されて働けている」と話す。

オークヒルズの朝食ビュッフェ
オークヒルズの朝食ビュッフェ

  千草さんは、毎朝5時半前に起き、自分とスタッフの朝食を作り、出発する宿泊客を見送るのが日課だ。昼過ぎには、客のチェックインが始まる前に買い出しなどを済ませる。

  その後は会計処理や請求書などの事務作業をこなし、夕食の準備に取りかかる。  

  かつてオーナーとして担っていた仕事の延長ではあるものの、千草さんは、新しい職を得られたことをうれしく思っているという。

  「失敗の連続の人生」という千草さんだが、破産申請を選び、事業譲渡をしたことで、経営者としての肩の荷は下りた。  

  シュンペーターの言う創造的破壊の力を受け入れることで、新しい道が開けることを示す証しとも言えるだろう。  一族が数百年にわたり営んできた家業に、千草さんは幕を引いた。

  だが事業は引き継がれ、のれんは残り、従業員の雇用先も確保できた。「私にとって1番の功績。結論からいうとこういう状態になってよかった」と振り返る。

  祐己さんにこのまま引き継いでいたら、急死した直己さんと同じ道をたどってしまったかもしれなかった。それだけは耐えられなかったと千草さんは涙ぐみながら話す。

  兄のことを考えると、健康が大事だということに行き着く。「私のところでなんとか納めなくてはと思っていた」。


東京支局 松山かの子

Editors:リード スティーブンソン, John Hechinger

Translator:香月夏子

Photo Editor: Donna Cohen


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